日本脚本家連盟の成り立ち
1960年代から70年代にかけてホームドラマの名手として活躍した、向田邦子さんがこんなことを書いています。
「もうだいぶ前のことだが、私の書いた時代劇の脚本料と、セットで使う植木の借料が同じことがあった。私は頭にきてセリフの手直しをいわれたとき、『植木に直してもらったらいいでしょう』と毒づいたことがあった」(初出:1976年赤旗日曜版連載『イチスジ』)
日本脚本家連盟が1966年に設立された背景には、こうした時代の事情がありました。
「放送番組の脚本を執筆している作家の社会生活を擁護し、その経済的地位の向上をはかる目的をもって、作家たち自身の手により、協同組合として設立されました」と、日本脚本家連盟のホームページには書かれていますが、設立から半世紀以上を経た今日では、著作権管理事業、福利厚生事業、教育事業を行い、会員数は1,600名、著作権を委託する脚本家は2,400名を超える、大きな団体となりました。
中部支部の役割
日本脚本家連盟には、北海道、中部、関西、中国・四国、九州の5つの支部があります。これまで、私たち中部支部はさしたる活動をしてきませんでした。ドラマ制作の東京一極集中という流れもありましたし、構成員をほぼ同じくする日本放送作家協会中部支部が開催する「中部テレビ大賞」というイベントもありました。(ちなみに、この二つの団体は、1959年の発足時には一つでしたが、業務の性格上、分離されました)
しかし、リモート打合せの普及で、東京とそれ以外とは、特に脚本についての距離は縮まってきました。そこで、脚本家を志す人たち、興味のある人たちにむけて、何某か有益なことをしたいと考え、はじめの一歩として、このホームページを立ち上げました。皆さんと共に成長してゆけたら、と願っています。
支部会員
麻創 けい子
伊佐治 弥生
加藤 満男
川上 智久
白石 栄里子
杉山 緑
田島 秀樹
谷 亜由子
西村 有加
芳賀 倫子(支部長)
はっとりちはる
前 貴史
三輪 のり子
渡辺 雅子
リンク集
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