北海道にゆかりのある人物のラジオドラマを書いていた。
地元のシナリオの賞に入選した際に、ご縁を頂いたプロデューサーから話をもらった。人手不足により、書き手を探しているということだった。
ラジオ局からは、作品の人選は任せるので、自由に書いてくださいとのこと。
当時、北海道に移り住んで間もない頃で、北海道の人物と言ってもクラーク博士や石川啄木ぐらいしか思い浮かばなかったが、さて誰を書こうかと思案していると、担当者からリストが送られてきた。
「このリストはすでに放送された人物です、これ以外の人でお願いします!」
ということだった。
10年以上続く長寿番組で、リストの人物は500人を超えており、道内の歴史的な人物は、ほぼ網羅されていた・・・。
「人選考える自由なんてないじゃない!」
というのが正直な感想だった。
しかし、引き受けたからにはベストは尽くさなければと、ウィキペディアを睨み、図書館の郷土史を片っ端から読みあさる毎日。
これはと言う人物を見つけるとリストを確認し、お決まりのパターンだったが、そこに人物の名前を見つけては、落胆という繰り返しだった。
500人を超えると、まず有名どころ、一般の人なら知っているような人物は出揃っており、リストにない有名人がいたとしても、社会的に現在では放送できない人であったり、存命の人物で書くことが難しい人であったりした。
とにかく人物が限られていたため、普段だったら惹かれることがない人でも、リストにない人物を見つけると、テンションが上がり、本当にありがたかった。
始めたばかりの頃は、毎回人選に時間を使い、執筆時間が削られる苦しい毎日だったが、人物のストックも増えてくると少しマシになってきた。
一人から始まり、その人を掘り下げて調べていくと別の人が見つかり、芋づる式に書くべき人物は広がっていった。
プライベートや仕事中、移動の時間も、常にアンテナを張り、史跡や歴史の立て看板を見ればメモをとって調べる生活。
なんだかんだで、気が付くと5年ほど、この仕事は続いた。
苦しいことも多かったが、普通に暮らしていたら知らないディープな北海道を学ばせてもらった。
書いていて一番感じたことは、どんな人物の人生にも物語があるということだ。
若くして亡くなろうと悔しい結果で人生が終わろうと、人が生きて死ぬまでの間には、大きなドラマがある。
人は誰しも、一生を通して素晴らしい物語を紡いでいることを気づかされた仕事だった。
川上 智久