ト書きのアレコレ その①
第2回で触れたシナリオの3大要素の一つ、《ト書き》について、何回かに分けて書いてみようと思います。
(※ト書きの書式については第2回をお読みください。)
【ト書きは映像として表現できなければならない】
ト書きは映像として表現できなければならない。逆に言えば、映像にできないことは書かない。
そんなことはわかってる、と思われるかも知れませんが、これがなかなか最初は徹底できない。シナリオを初めて書く人の多くが、例えば10枚のシナリオを書いてみると、数か所は映像にできないことを書いていたりします。
映像にできないことって、具体的には?
例えば、次のシナリオの一部を読んでみてください。
(例) 〇「スーパー浅野」総菜売り場前(夜) 達哉、残り一個になった弁当の前で微動だにせず立っている。 達哉は朝から何も食べていないので、ひどくお腹がすいているのだ。 |
質問:この中で、映像にできない箇所はどこでしょう?
★こう考えてみてください。あなたの書いたそのト書き、役者さんの演技で表現できるでしょうか? とてもお腹がすいている演技はできても、〝朝から何も食べていない“ということまでは表現できません。
答:達哉は朝から何も食べていないので、
★ただ、もし、“朝から何も食べていない”という情報が、とても重要な場合、どうすればいいのか……?
①セリフで言う・・・簡単な方法ですね。
②シーンを組み立てる・・・このシーンの前に、そのことがわかるシーンを書いておく。
例えば、寝坊して母親の作った朝食を食べずに慌ただしく出て行くシーンを書き→その後、職場で顧客対応に追われ、昼食を食べ損ねたシーンを書いておけば、朝から何も食べていないという情報を観る側にインプットできるわけです。
★余談ですが、“朝から何も食べていない”という情報が、とても重要な場合、ってどんな場合でしょうか?
例えば、この囲みのシーンの中で、もう一人、客がやってきて、残り一個の弁当を達哉の目の前で、サッと取って、カゴに入れてしまったら……。
Aこの客が、いかついおじさんだったら、
Bこの客が、好みの女性だったら、
Cこの客が、大阪のおばちゃんだったら、(大阪の人、すみません)
それぞれで展開が変わって行きそうです。シナリオ創作の面白いところですね。
★映像にできないト書きを小説の地の文で考える。
第二回で、小説の地の文とシナリオのト書きの違いについて書きましたが、
具体的に、梶井基次郎氏の小説『檸檬』の一節を例に考えてみましょう。
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。 |
さてさて、冒頭の《えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた》をシナリオのト書きとして書いたらどうなるでしょうか? 大きな不安に押しつぶされそうな人物を演じることはできるでしょう。
でも、その不安が《えたいの知れない不吉な塊である》というそのものズバリの演技はできません。
ですから、ト書きに書けない文となるわけです。続く文も同様ですね。
では、映像にする術はないのか、と言えば、脚色という術があります。この文章を読んで、どんなシーンを立てて、どんなセリフを言わせるか、あるいはセリフは言わせず表情や、行動や、情景描写でこの世界観を表現していくのか、そんなことを考えるのもシナリオ創作の醍醐味です。
(白石栄里子)