昨年(2025年)になってサイレント映画(高橋秀子生誕百年記念上映で『東京の合唱』と無声映画鑑賞会の『雄呂血』)を二本観た。初めてサイレント映画を観た頃を思い出す。名古屋シネマテーク(現在はナゴヤシネマ・ノイ)が、今池に常設館を持つ前に中区役所の講堂などで上映会を催してた頃に、『イントレランス』(1916年)『アンダルシアの犬』(1928年)等のサイレント映画を観たのが最初である。その後、愛知文化講堂で無声映画鑑賞会主宰の『散り行く花』(1919年)『チャップリンの給料日』(1922年)を、もう50年以上前になる。
映画(シネマトグラフ)を発明したリュミエール兄弟の『工場の出口』(1895年)は、人が溢れ出てくるように演出されてる。『列車の到着』(1897年)は、スクリーンの右上から左下へ列車が到着する場面で、見ていた観客が危険を感じて席を立った。『水をかけられた散水夫』(1985年)はホースを踏み水を止める少年と散水夫の掛け合いで笑いを誘っている。発明当初から娯楽映画の要素が描かれていた。
サイレント映画は、富裕層が豪華な劇場でオペラや演劇を楽しんでいた時、言葉も分からない移民や貧しい人々の娯楽として、権威や富裕層を相手に、ありふれた主人公が活躍するサイレント映画が、喝采を浴びた。
シナリオや演出などの取り決めが何も無い黎明期、映画の魅力にとりつかれた若者たちが、躍動感に溢れた映画で時代を表現したサイレント映画。ストーリーをもった最初の映画と言われる『大列車強盗』(1902年)のラストは、画面(観客)に向かって銃を撃つ衝撃的なシーンで終わっている。
今回、劇場で観たサイレント映画『雄呂血』(1925年/脚本:寿々喜多呂九平/監督:二川文太郎)善意で行動したことが次々と誤解され、初恋の女性を毒牙から救おうと、積もり積もった怒りが爆発して、多数の捕り手と大乱闘。この長い乱闘は、二十代の主演阪妻(阪東妻三郎)や脚本、監督、脇役、スタッフの若いエネルギーが爆発した傑出したシーンである。移動撮影はリヤカーにカメラマンを乗せ上下の振動がない様に曳いての撮影、梯子に滑車を取り付けカメラマンをロープで引き上げて俯瞰撮影をした。数年前に大ヒットした『カメラを止めるな!』の後半は、撮影時のトラブルを咄嗟の機転を利かせた行動でドラマを完成するまでの様子が描かれ、この時の俯瞰撮影はスタッフの人間ピラミッドだ。映画草創期の様子を彷彿させ、小品ながら観客を集めたのも分かる気がする。映画は娯楽だ。
ロシアの作家ゴーリキーが、シネマトグラフを観て「奇妙な沈黙」と述べている。『東京の合唱』(1931年/原作・脚本:北村小松・野田高梧/監督:小津安二郎)を三十人近い観客と共に、物音一つたてない「奇妙な沈黙」の中で観た。サイレント映画全盛時の日本では、弁士の名調子に軽い伴奏。外国では伴奏はあったものの弁士の代わりに観客の歓声や喚声で映画館は渦巻いていたと思う。なにせ、サイレントですから観客の迷惑にならない。近頃の応援上映の大騒ぎは、100年前の映画館の雰囲気と変わりない。映画は娯楽だ。
小粋な毒で、客を楽しませて欲しい。 (加藤満男)
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