その1 『喫茶ボンボン』

 レトロ喫茶ブームというものがあるが、名古屋のそれで必ずといっていいほど挙げられる店が『喫茶ボンボン』。私も小学生のころ、休みの日の朝には、父の車でよく連れられて行った。甘いものが苦手な父が、ここのモーニングについてくるスポンジケーキだけは好んだ。私と妹は、夏ならクリームソーダ、それ以外の季節はプリンやプリンアラモード。そして、帰りにケーキをいくつか買って帰る、というのが、お決まりのコース。昭和40年代後半のことである。

 ボンボンのケーキは手土産に使われることも多かった。なにしろ、ケーキ屋も焼き立てパン屋も数えるほどしかない時代、ちょっと気取った洋菓子といえば、泉屋のクッキー缶か、風月堂のゴーフルくらいしかない時代である。よって、かぶる事態が始終起こった。到来物が二つとも「ボンボンのケーキ」「しかもマロンばっか」という、嬉しいのだか気持ち悪いのだかわからなかった景色は、よく覚えている。

 昨年、ホワイトデー用に、ふと、「妹が懐かしんでくれるかな?」と思い、『喫茶ボンボン』に行ってみた。車で店の前を通ることはあり、「ほんと、変わってないな」とは思っていたが、入店したのは半世紀近くぶりである。

 呆気にとられた。ほんとに何も変わっていないのである。くらっとした。店員さんの制服さえ変わっていないのではないか。並んでいるケーキも見覚えのあるものがほとんど。唯一変わった点といえば、以前は喫茶コーナーと洋菓子売り場が自由に行き来できていたのが、閉ざされていたことくらい。異空間に迷い込んだ気持ちになりつつも、妹一家に贈る焼き菓子を選び、せっかくだからと、自分用のケーキを数個買ったら、包装紙まで同じだった! 50年前と!

 SNSにこの件を投稿してみたら、「父の車で母の実家に行くと、帰りに寄ってました」「私はマロン派」「私はアメリカン」「いやいや、バームクーヘンが実はおいしい」と、数少ない(でも親しい)友人たちが反応。みんなの家族の思い出とともに『喫茶ボンボン』はあるのだなぁ、と思った。

 そして、40数年ぶりの実食。実は、私は甘いものが苦手だ。「子供だから美味しいと思っていたものでも…」と、覚悟を決めて口に入れたが、思ったより甘くなくて、ほっとした。一方、千葉に住む妹の方は、なにしろ、娘を4人産み育てている。よって、彼女が仕事から帰宅したときには、ボンボンの焼き菓子は、包装紙しか残っていなかったそうだ。哀れ。

 この拙文を書くにあたって、『喫茶ボンボン』のサイトを確認してみた。と、トップページにこんな一文が! 「開店当初から『いいものをお値打ちで』という思いを込めて」

 「お値打ち」! これは名古屋人を読み解くためのキーワードである(と、私淑する安田文吉先生は言っている)。それは単に安いということではない。例をあげると、「10万円のジャケットを30年着れば、それは1万円のジャケットを数年着るよりも、お値打ちである」ということで、要はコスパの問題なのだが、そんな数字上の問題では実はない。つまり、「コスパが高いものを選べる人は、優れている」という価値観が名古屋人にはある、ということなのだ。

 昭和24年創業『喫茶ボンボン』は、名古屋人の価値観をもまた、今に伝えている。

伊佐治弥生


*記事内の写真は、許可を得た上で転載しています。

 喫茶ボンボン

名古屋の老舗洋菓子店・喫茶ボンボン https://cake-bonbon.com/