名古屋弁と名古屋言葉

名古屋の方言は、2種類ある。

1つは「名古屋弁」として一般に知られている、早口で、濁音や拗音を語尾に多用する下町言葉。もう1つは「名古屋言葉」とも言われる、柔らかな口調で「なも」「えも」を語尾につける、上町の言葉。「ちんちこちん」「ときんときん」「まわし(支度)」など、使う単語は共通していても、雰囲気は全く違う。
1988年に収録された、料亭の女将2人の対談があるので、少し引いてみる。イントネーションは、京言葉に近い。

「こんにちは。ご新造さま、おいででござゃぁますかなも」
「おいであそばせ。まぁ、誰かと思ったらお前さまかなも。まぁ、よういらしてちょぉだゃぁあそばしました。まぁまぁ、どうぞ、あがってちょうでゃぁあそばせ」
「ありがとございます。遠慮なしにあがらしていただきますで」
「どうぞどうぞ。まぁ、えも。どうにかこうにか、こうやってやっとりますがえも。まぁ、一服、どうぞ、召し上がっていただくよう、今、お茶、入れますでございますで」
「おおきに、ありがとうございます。まぁだけど、お宅さまにお邪魔させていただくのも、やっとかめですね」
「まぁ、今日はゆっくりとして遊んでいってちょうだゃぁあそばせ」
(「なごやべん特集 残そう美しい言葉と唄を!」/東海パック/1989年発行)

愛知県図書館のAV室にカセットテープとして所蔵されているので、興味のある人は聴いてみてほしい。なるほど、京言葉に近い柔らかさがあると納得してもらえるだろう。
ところで、なぜ京都なのかというと、これは8代将軍徳川吉宗の緊縮財政下にあって、尾張藩7代藩主徳川宗春だけが経済振興政策をとったために、江戸や大阪の役者ばかりか、京都の遊女が名古屋に大量に流入したため。当時の遊女は、トレンドリーダー、インフルエンサー的存在であるところから、それまでの三河武士のかしこまった言葉のうえに、京言葉の柔らかさがのった、独自の方言ができあがったとされている。

「名古屋言葉」を話す最後の1人は、大正11年生まれ、ひつまぶしで有名な『あつた蓬莱軒』の女将とされている。女将が2010年に亡くなって以降、「名古屋言葉」を生で聞くことは、できなくなった。

「名古屋弁」と「名古屋言葉」の関係を初めて知ったとき、「悪貨は良貨を駆逐する」という経済学の授業で習った言葉が思い浮かんだ。グレシャムの法則。法則だから仕方ないのかもしれないが、「汚い名古屋弁」だけが独り歩きしているのは、名古屋人として忸怩たるものがある。
40年前はタモリによる「えびふりゃぁ」「みゃぁみゃぁ」に悩まされたし(余談だが、中学1年の最初の英語の授業、教師が自信たっぷりに言った。「ふつうは難しい発音だが、お前たちは得意だ。さぁ、みんなで言ってみよう。リンゴは、ェァップル!」「ェァップル!」。なんだかなぁと思いながら、なるほど、みんな上手だと思った)、今は河村名古屋市長である。

河村市長の名古屋弁は、やや不自然だと言われる。これは、「名古屋言葉」圏で育ったであろう市長が、親しみを持ってもらうために「名古屋弁」を使用していることに起因しているというのが、私の推察である。根拠は、以前、熱田神宮のボランティアガイドのおじさん(市長と同級生)に聞いた、「あいつは実は、ええとこの出だから」「選挙に出ると聞いて、お母さんは、『家は武士の学者の家系、そこから政治家なんて者を出すなんて』と泣いたそう」「奥さんは上品」という話にある。
ちなみに、熱田神宮のボランティアガイドは、無料で、こちらの希望時間に合わせて、効率よく熱田神宮を案内してくれる。土日祝は境内手水舎と、参道を挟んだ反対側に、日中ほぼ常駐しているので、観光の際、あるいは『あつた蓬莱軒』の待ち時間にお勧めだ。

(伊佐治弥生)