1975年国鉄(今はJR)でスト権ストと言うストライキがあった。名古屋へ行く手立てを探し名鉄バスセンターから中津川間の路線バスで出掛け『祭りの準備』を見た。
『祭りの準備』(1957年/脚本:中島丈博/監督:黒木和雄)は中島丈博さんの自伝的なシナリオの映画である。題名が良い。望みを抱いた若者が飛び出す時を言い当てている。
映画で「新藤さん言う偉いシナリオライターが雑誌に書いちょった。・・・」と主人公に言わせている。新藤さんとは、新藤兼人さんの事である。
新藤兼人さんは、新興キネマで美術監督水谷浩さんの下で大道具係をされながらシナリオを書いておられ、当時の情報局の脚本コンクールにも黒澤明さんと共に入選されています。そんな修行時代を描いた『愛妻物語』(1951年/脚本・監督:新藤兼人)で主人公に「これはストーリーです」と厳しく指摘する監督(溝口健二監督がモデル)。何度も書き直しを要求する監督(内田吐夢監督がモデル)に応える為、自分でも納得するまで書き直しをする姿に鬼を見た気がする。新藤さんの自伝「青春のモノクローム」を読むと『愛妻物語』で描かれた頃の清々しさと鬼気迫るものを感じる。
『祭りの準備』で望みを抱いて飛び出した中島丈博さんは、脚本家・橋本忍さんの下で修行した。
橋本忍さんが脚本家になる前、傷痍軍人岡山療養所で暇を持て余している時に、『日本映画』という雑誌を貸して貰い、巻末のシナリオを読み「この程度なら俺にも書ける」と貸してくれた相手に言うと「いや、そう簡単には書けません」と答える。「シナリオを書く人で日本で一番偉い人は誰ですか」と訊ねると、「伊丹万作という人です」と答えた人は松江の陸軍病院、六十三連隊から来た成田伊介という人でした。「じゃ、僕はシナリオを書いて伊丹万作さんに見てもらいます」と答え。その後、シナリオを書き伊丹万作から返事を貰った喜びを成田に伝えようとしたが既に成田伊介は結核がもとで亡くなっていた。(橋本忍著『複眼の映像』より)
成田伊介さん、鳥取の松江に暮らしながら伊丹万作を知りシナリオの何たるかも理解していた。当時としては見識のある人だ。後年、橋本さんは『砂の器』(1974年/脚本:橋本忍・山田洋次郎/監督:野村芳太郎)の出雲ロケで、松江の寺院を訪れ、頭を垂れて合掌したとのこと。
新藤兼人さんと橋本忍さんに会ったことがある。と言っても三十人ぐらいの講座で話を伺った程度なんですが、我々の年代にとっては神様のような存在の脚本家でしたから話の内容は耳に入らず、存在感に圧倒され、毒を何杯も喰らっても果てない精神力には化け物を感じた。日本がバブルで狂喜乱舞した1980年代後半から現在に至るまで、映画・テレビドラマに見るべきものが無くなってしまった今、初心に立ち返り新藤兼人・橋本忍を見つめてみたい。
両氏の一押し作品
新藤兼人さん、百万ドルのエクボの乙羽信子さんを鬼婆と狂気させた『鬼婆』(1964年/近代映画協会)、もう一度観たい。
橋本忍さん、鶴屋南北が「東海道四谷怪談」を書くきっかけとなった刃傷沙汰を描いた物語『白扇 みだれ黒髪』(1956年/原作:邦枝完二/監督:河野寿一/東映)映画館で観たい。
(加藤満男)
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