こんな毒 vol.3

 日活撮影所を舞台に「石原裕次郎」を演じた俳優が、1987年7月17日午後4時26分に亡くなった。裕次郎は、1957(昭和31)年、兄の石原慎太郎の芥川賞受賞作『太陽の季節』(脚色・監督:古川卓己)で、湘南の若者の生態のアドバイスがてら端役で出演、そのスター性を見抜いた水の江瀧子プロデューサーが『狂った果実』に主役で起用する。そこから新生日活の路線が決まり、東宝・大映・松竹・東映の五社で撮影所華やかしき日本映画の黄金時代を躍進していく。その熱気は当時の映画を見ればスクリーンいっぱいに溢れ出ている。
 撮影所を支えたスターには必ずシリーズ物がある。大映の市川雷蔵には『眠狂四郎』、勝新太郎には『座頭市』。東映の中村錦之助には『一心太助』、高倉健には『網走番外地』、東宝の加山雄三には『若大将』。松竹の渥美清には『男はつらいよ』、日活の小林旭には『渡り鳥』等があるが、石原裕次郎にはない(テレビに軸足を移した1972年に『影狩り』のシリーズ物が2本ある)。撮影所に支配されたキャラクターを忌避したのか、異質なスター性を持っていた。当時の熱狂は『憎いあンちくしょう』(脚本:山田信夫/監督:藏原惟繕)を見ればわかる。
 新生日活がその後の路線を決定づけた『狂った果実』(脚本:石原慎太郎/監督:中平 康)のラストシーンは兄(石原裕次郎)に恋人(北原三枝)を奪われた弟(津川雅彦)が、二人の乗ったヨットの周りをモーターボートでぐるぐる回り、ヨットに激突する。津川雅彦の純真さの中に潜む悪魔的な無表情からこぼれた一筋の涙が印象的だった。その後、日活が終焉を迎える1971年の作品『八月の濡れた砂』(脚本:峰尾基三・大和屋 竺・藤田敏八/監督:藤田敏八)のラストシーンは大人たちの偽善に牙をむいた若者四人(健一郎、清、早苗、早苗の姉)が何の目的もなくヨットを走らせる。船上に出た姉を健一郎と清が犯す。早苗(テレサ野田)は二人にライフルを向けるが撃つことが出来ず、船内に戻り倦怠と無為感が漂う表情でライフルを撃つ、その瞳から涙が一筋こぼれる。そして、日活はロマンポルノに路線を変更して傑作を送り出してゆくが、はかなく散り行く花で終わる。
 映画館入場者数が10億人を超えた年(1957-1960)の興行収入ベスト・テンの石原裕次郎主演映画を見ると今では理解できない熱狂であったことがわかる。

1957(昭和32)年度 4位『嵐を呼ぶ男』 7位『錆びたナイフ』 8位『夜の牙』

1958(昭和33)年度 2位『陽のあたる坂道』 3位『紅の翼』 6位『明日は明日の風が吹く』 7位『風速40米』

1959(昭和34)年度 4位『世界を賭ける恋』 5位『男が命を賭ける時』 6位『鉄火場の風』 9位『男なら夢を見ろ』 10位『天と地を駈ける男』

1960(昭和35)年度 1位『天下を取る』 3位『闘牛に賭ける男』 4位『喧嘩太郎』 6位『あじさいの歌』

1961(昭和36)年度 3位『あいつと私』 7位『銀座の恋の物語』 8位『堂堂たる人生』 9位『アラブの嵐』  

 <キネマ旬報ベスト・テン全史 1946―2002より>

(加藤満男)

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