『プライベート・ライアン』(1998年/脚本:ロバート・ダット/監督:スティーブン・スピルバーグ)。ライアン家の息子たちが戦死して残る一人の息子を戦場から連れ帰る使命を帯びた小隊の活躍を描いているが、ノルマンディー上陸作戦の内臓が飛び出した兵士やもぎれた腕を引きずりながら歩く兵士など戦場の臨場感をリアルに描き迫力があるが、違和感が付きまとう。エンターテイメント化した戦場シーンとライアン家の母親が子を想う情感とがかけ離れていると感じる。まだ、オールスターキャストでノルマンディー上陸作戦の一日を淡々と描いた『史上最大の作戦(The Longest Day)』(1962年)の方が心惹かれる。
日本の母親が、戦死した次男の時は国に捧げた子だから諦めるが、家を継ぐ長男が戦死した時には天子様の戯れじゃと泣き叫んだ、という文章を読んだことがある。当時の庶民は「大日本帝国臣民」であった。現在は「日本国民」である。
『清作の妻』(1965年/脚本:新藤兼人/監督:増村保造)。日露戦争に召集され怪我をして戻ってきた夫・清作(田村高廣)を二度と戦争に行かせまいと妻・お兼(若尾文子)は釘で夫の目を突き盲目にしてしまう。それを知った村人たちは国賊だとお兼を咎めるが、これが暴行や強姦に感じられ集団心理の怖さにぞーッとする。
戦地で精神がおかしくなり内地へ戻される兵士がいたという。戻された兵士が、家長なら家族に暴力を振るう、家長でないなら家に閉じ込めて監禁する。身寄りがなければ精神病院に監禁する。今もって入院している元兵士が、まだ一人か二人生存しているとなにかで呼んだことがある。我々はどう応える。
『ひめゆりの塔』(1953年/脚本:水木洋子/監督:今井 正)。アメリカ軍が上陸し戦闘が激しくなる沖縄で、女学生が看護婦に動員され軍人と共に戦闘に巻き込まれる。軍人が保身にはしるなか女学生たちは次々と倒れていく、一般市民が地上戦に巻き込まれていく悲劇を描き反戦を訴えた名作で大ヒットした。
北の樺太でもソ連の侵攻に伴う、乙女の悲劇を描いた『樺太1945年夏 氷雪の門』(1947年/脚本:国弘威雄/監督:村山三男)。この映画は、ソ連の圧力で公開されず(北海道と九州の一部で小規模公開があった)1973年8月号の月刊シナリオに掲載されたシナリオだけが残されていたが、2010年7月29日に36年かけてやっと公開されたものをシネマスコーレで見た。日ソ不可侵条約を結んでいたソ連軍が突然参戦し樺太へ侵攻してきた。婦女子に北海道への疎開命令が出るが、電話交換の職務を最後まで遂行し服毒にて殉職してゆく乙女たちを描いている。
終戦当時には、『ひめゆりの塔』や『氷雪の門』に似た悲しい秘話、美談が無数にあったことを思わざるにはいられない。
作家、吉村昭さんの著作『手首の記憶』も樺太で残された患者のため看護の職務に従事し、退却の途中でソ連軍に囲まれ集団自決をするが、生き残ってしまった自責の念から黙して語らずひっそりと赤貧の生活を送る女性の戦後の生き様を語っている。
戦後の急速な繁栄を謳歌しているが、忘れることが早い我々(主権を持つ日本国民)は大事な落とし物をしていることを忠告している。
(加藤 満男)
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